いまのは倶楽部のトビケリ歌句会の今週のお題に出したものの再掲です。
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プロトタイプ
もう話すことなき母の唇はかはいて深き皺を刻めり
閉じられた瞼はくぼみてまざまざと頭蓋の形に縮む皮膚
もうコレは母ではないと自分に言ひ聞かせ聞かせをり(あるひは悪魔が)
死んでゆく母のこの世の生命とひきかへに得る永遠の母
悪魔とは何かは知らずこれよりの彼女の不在の受け入れ難し
未来などどうとでもなれ永遠に今が続けばそれだけでよい
取り出した彼女の脳があたらしきいのちとなるを待ちわびてをり
わたくしに光の入りてわたくしはわたしになれり 名を呼ばれたり
<ゆり>と呼ぶものにむかひて手を伸ばしそのままそれを抱きしめてゐる
わたくしは<ゆり>ゆりと呼ぶものは<きみ>きみはわたしをもつと<ゆり>にする
「暖かい」と呟きわたしの世界から滑り落ちゆくきみを見てゐる
わたくしに与へられたる試作品若き女の姿をしてをり
落胆の兆す間もなく両の手に抱きしめられをり<よみがへる母>
おさな日の母のにほひはあらずともかの日の日向のやさしさにゐる
うでのちから弛めてきみを手放せばもどり来るきみ喉がうごいた
(あたたかいつてなんだらう たくさんのことを遠くに置き忘れてる)
わたくしの任務は今日よりこの物を実用可能な状態にすること
あの腕はなんだつたのか消されたはずの母の記憶の紛れ込みしか
ひなの後追い行動のやうなものさうは言つても打ち消し得ぬもの
きみの言ふとおり動いたきみの言ふとおり喋った笑つた泣いた
<表情のパターン少なし次作への仮題その1>それがわたくし
外気温28℃に半袖を選びてこれはどうやら合格らしい
基本的仕様に問題見当たらずどこまでヒトに近づけうるか
どのやうな用途が<ゆり>に適するか育成しつつ見極めてやらう
眠るとふこと教はれり唐突にきみは出てゆきくらやみにゐる
たくさんのことを学んだごくたまにきみを笑はすことができます
うきうきとするつて分かるあたらしいスニーカー履き散歩にゆくの
雀の声燕の声を覚えたよ小犬を見たら駆け寄り「可愛い!」
きみの指先にゐるのは蜻蛉です<楽しそう>つて言ふんだその顔
おひさまのあたる石垣じつとしてゐるちつちやいとかげ
落としたよ きみのてのひらにのせる鍵 ふれる は分かる 熱 分からない
あたたかい つめたい あまい 美味しい 人間たちが持つてゐるもの
綿毛持つ秋のたんぽぽ道端に 風にさらわれてゆくものたちは
優秀な学習機能高速で過ぎゆくゆりの少女の時代
わが知らぬ母の思春期おもひをりきつと無垢なる少女なりけむ
人間にあらざるものに愛着の生まるることをいぶかしみをり
土ぼこり上げつつ歩く<ゆり>の背に羽持つものの影がよぎつた
きみとレストランに行きますワイン飲む?ワインは好きよ役に立つから
エネルギー源となるのはアルコール他のすべては<ゆり>には無益
母とおなじグラスの持ち方を何故する<ゆり>は やはりあなたは
食べてゐるふりするために殺されたにはとりレタスわたしのために
牛肉を生産するのに必要な穀物の量? きみの話の・・・
覚えてる?このワンピース買ったのははじめて林檎むいた日つてこと
ストッキングはくのは好きよ作り物だつてわくわくするのは分かる
だめ、ここで鶸の鳴き声真似るのはきみの声つて大きいんだもの
恥ずかしきひみつ持てども美しき<ゆり>連れてゐる優越感が
勝ち負けで人とわれとを比べゐる男の卑小さをたのしめり
美しき人でありたる母もまたそんな視線にさらされをりしか
見せつけるごとくに<ゆり>の肩だきて店出づるとき兆すさびしさ
いつもより近づく君にざはざはと騒ぐ空洞わたしのなかに
体温は感知できないわたしでもあたたかいつてこういふことだと分かる
満月のそばにあるのは火星 赤い きみが教えてくれたから好き
人間の皮膚に擬せられ作られた体温なれどあたたかき<ゆり>
こんなにもさびしき肌を持ちゐしか引き寄せたる肩離せずにゐる
わたくしの胸におでこをくつつけて眠るあなたは眉を顰めて
肌と肌もつと重ねるにんげんの言ふ幸せつてきつとこんなこと
目覚むれば世界は<ゆり>でできてゐた隅から隅までわたくしになれ
唇をあはせて匂ひなき<ゆり>に流しこみをりにんげんの唾液
みみたぶを瞼を濡らす生命を送り込みたる錯覚持ちて
人形に勃起するのがヘンタイと言ふのであればそれもまたよし
スイッチが入つたやうにべつのひとみたいなわたしが動きはじめた
手が足がこころを置いて動き出すしよせんわたしはオートマタ
あつ、きみもいつもとちがふ人みたいつよいちからが足首にある
欲望に勝れる好奇心持ちて覗き込みたるヴァギナ周辺
人工も自然の一部ここにゐる<ゆり>はたしかに、たしかに<ゆり>だ
情欲の再度来たりてわたくしは<ゆり>の秘密に顔埋めたり
快楽の受容器官を持たぬ<ゆり>にオスなるわれは声零させる
征服欲 ではないが<ゆり>、きみのうちがはにゆきたい気持ち 止まらぬ
人間にあるものが欲しい ひとりでに始動しだしたプログラム ちがふ
わたくしを置いて伸びゆく喉からはわたしのものぢやない声が出る
ああそうか わたしはこんな機械なんだ こころはあるよ こころはあるのに
わたしには受け止められないきみがゐてとどかぬ月を滲ませてゐる
急激に冷えてゆく皮膚 感情の読めぬ顔持つ<ゆり>を怖れをり
さつき<ゆり>がなぞつた動きは誰のもの?疑惑はゆつくり背筋をくだる
<ゆり>でないゆりを抱きてわたくしは開けてはならぬ扉を開けた
中空で哄笑するのは母の声 さうだつたのか憎んでゐたか
ぎゆううつと抱きしめて欲しかつたのに困つた顔して背中をむけた
くらやみに置いて行かれた時よりもわたしに<ゆり>が見えない たすけて
磁気を帯びたゼムピンみたいに愛しいと思ふ気持ちは消えてはくれぬ
抱いたとたん<ゆり>でなくなる<ゆり>とゐて身動き取れぬわが感情は
あの日から目を合はせてはくれぬきみ両手に顎を挟めば泣きぬ
こひびとがいちばん似合ふ機械だと思ふと言へば慄くきみだ
きみの背を腕に抱けば全身を硬直させてうなだれてゐる
わたくしの中にあなたのかあさまが住んでゐるつて だめなのですか
戻れないところにどうもゐるやうだわたしはどこかに消えてしまほう
ドアの前に立つ<ゆり>の手に握られたカッターナイフ(柄は緑色)
ひだりてにあてた刃先をすべらせばレザースーツのごとくさけゆく
血液の代わりにゲルを光らせてわたしの<ゆり>を終りにします
左肩から右の脇へと入れる だんだん<ゆり>ぢやなくなつていく
(痛いつてわからないのがくやしいなぁ)さらに深くへ差し込むナイフ
きみの手をとりてわたしの奥深く沈めてゐます わすれないでね
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
私の母の頭脳の複製は作るのだらう幾億の<ゆり>