忍冬
杉森 多佳子 / / 風媒社
なかなか歌について(も、だな)何かを書くという気力が起こらないまま、1ヶ月ほど、放置していた。
素敵な歌集なので、すぐにでも紹介したかったのに。
ようやく、最近になって気分が上向き傾向になってきたので、ようやくの感想UPです。
この歌集はまず、水彩画のような色彩を感じる歌、また、比喩の鮮やかな歌で始まります。
歌のテーマには時事詠や春日井健への挽歌も含まれるけれど、透明感を感じる抑制のきいた歌となっています。
・読み上げる死者の名は繋がれて鎖となりぬ九月の空に
・ガーゼ切り刻みたるごと散るさくらわがてのひらのまほろばに来よ
・青色の睡蓮の咲く池の名を復誦すれば潤みゆく声
・一滴のしずくとなりてつばめ翔ぶ青の密度の深まる五月
・あおぞらに逆光線をひくつばめ風に擦れあう痛みを告げず
しかし、真ん中のⅡ部は、子規の妹と病気の夫を看病する日々を重ね合わせてて詠まれた、重い歌を含むパートとなっています。
・わけもなく死にたかったのは夫病みて二年目の春花冷えの夜
・いつよりか友達夫婦というよりも体温似通う兄妹と思う
・庭眺め眺めつくして死を待てり百年前の子規のまなざし
・引き抜かれた杭となる夫その上に私の影が伸びる日の暮れ
・今日がふと晩年となる心地して水菜の茎のしろさが香る
行くあてのない怒りのような感情がストレートに詠まれている歌もあれば、限りなく律に同化して、あたかも明治の時代の律の眼で世界を眺めているような歌もあって、非常に深みと幅を感じます。
この部分が真ん中に置かれていることにより、歌集全体としても、とても締まったものになっているのではないか、と思います。
しかし、この歌集の魅力はこれだけではないですね。
・連弾のピアノのように会話する亡き人とならばどのようにでも
・ひそかなる想いを告げし心地なり真っ白なタオルを手渡せるとき
こんな風に、日常をとてもていねいにに生きている人ならでは、という感じの歌にもひかれる。
それから、口語的な歌、会話体を含む歌にも魅力を感じました。
・おこらせて後悔させて気をもませさみしがる頃ただいまを言う
・こぼしたる水は歪んで広がりぬ生きているうちは拭きとらないわ
・やるせないやるせないわとつぶやけりつぶやくうちに雨粒となる
・おもしろかったわと言いながら返す本 ロボットアームのごとく差し出す
・捨て石を打つ覚悟もつ妻と暮らす男もつらい、だろうと思う
・あなたならやさしくふふっと笑うだろう恋も着物も気合いが足りないって
独特の女言葉と字余り気味のリズムがこの場合、効果的に使われていて、場面場面をリアルにとらえているのではないかな。
ぜひ、ご一読ください。
このたびは、拙い歌集をお読みくださいまして、その上歌評まで書いてくださり、ほんとうにありがとうございます!うれしいです。
「日常をていねいに生きている人」という言葉が、身にあまります、もったいないです。。。実体はともかく、とりあえず歌のなかでは、そうかーわたしってそんな風に生きているように見えるんだ、ととても有難く思いました。(笑)
こころよりお礼申し上げます!
>実体はともかく、とりあえず歌のなかでは、そうかーわたしってそんな風に生きているように見えるんだ、ととても有難く思いました。(笑)
お会いした印象も、そうですよ♪