先月の歌会で西村尚先生の歌集で唯一わたしが入手できなかった
「故園断簡」のコピーが回ってきて借りている。
ひもで綴じてあるだけなので、簡単にコピーすることもできたのだが、
パソコンを移行する際に歌集からの歌を写したデータを全部なくしてしまったのは
きっと、一からちゃんとお勉強しなさい、というお告げだったのだろう、と
手書きとはいかないものの、手打ち(?)で写すことにした。
ようやく、全部の歌を打ち終わり、チェックをしているところ。
何とか明日には間に合いそうだな。
しかし、何と時間のかかったことか。
なまけものだからなぁ。
しかも、タイプミスの、なんと多いことか。
うっかり者だからなあ。
山藤のおのれ吊してゐる色の暗愚おもへば夕空晴れて 西村尚
明日は歌会なんですね…お気を付けて!
難しい漢字、を打つのも難しいです(読み方が分からないと、もう手書き入力しかない!―虫眼鏡を駆使して…)が、歴史的仮名遣いもめんどうですよね。(汗)
それと虫眼鏡とは??
虫眼鏡はね、わたし、乱視がどうやら進行しているらしくって、、線が何本あるとか、字の細かいところまでは肉眼では見えないんですよ。で、虫眼鏡で確認するってわけです。(書いてみると、結構かなしい・・・)
ネット上の進行に制約の少ない中でのやりとり(マイペース、気まま…)に馴染んで慣れてしまっているせいか、現実の人とのやりとりの短い時間なかの凝縮されたやりとりは普通以上に疲れる感じ…。不勉強で短歌のことを何も分かっていないからということもありますが。言われていることの意味が分かるまで、蛍光灯みたいに時間がかかります。(苦笑)
目の話は、なぜかわたしは今のところ目はじょうぶらしい。でも、周囲の同世代ももう少し若い人もだいたいみんな老眼です。そろそろかな…とは思いますが。
小さき文字ならぶレンズの向かふがは哀しみまでも垣間見えたり
継続的に行われている歌会では、いつのまにか、ついつい「暗黙の了解」事項が増えてしまって、話が飛躍してしまう場合があるかもしれませんね。
目は、大丈夫なんですか。うらやましい!!
小さい文字を凝視していますと、涙が浮かんでくるもんですから、歌の通りです…。
(こまかいことですが、「むこう側」は歴史的仮名遣いでは「むかうがは」になると思います。動詞の「むかう」は「むかふ」なのに、ややこしいですね。)
小さき文字ならぶレンズの向かうがは哀しみまでも垣間見えたり
それと、私の場合は…話が飛躍していなくても、ついていけてない状態だと思います。(苦笑) でも、ネット歌会ではいろいろと調べてみたりもしながら、ゆっくりと考えられるので…。いつも書いているように楽しませてもらっています。
わたしが確認したのは広辞苑でして、これは、解釈の違いで、どちらが間違いとは言い切れないもののようですね。(広辞苑はウ音便と解釈しており、三省堂はムカフの転じたもの、と解釈しているのでしょう)
ただ、実際に見かけるものは「ムカウ」が多いように思いますが。
旧仮名遣いに変換してくれる翻訳サイトです。
http://yasuda.homeip.net/misima/misima.html
たしかに、「むかう」の方が一般的だけれど、こっちが正しくて、三省堂が間違い、というわけにもいかないと思うんですよ。
歴史的仮名遣いは語が変化した場合、その前のかたちからどう変化したかによって、表記が変わります。
したがって、語源の研究が進むに従って、表記が変わることもあります。
たとえば、公孫樹(いちょう)は明治に制定されたかなづかいでは、その時点では一葉が語源という説が有力であったため「いてふ」と表記するようになっていましたが、違うということになって、現在では「いちやう」と表記されるようになったという話があるぐらいですから。(広辞苑にも載っている)
ですから、正しい、ということは学者か、よほど語源に詳しいものでない限り、言えないでしょうね。
ご紹介のサイト、正字表記にも変換できるんですね!
おもしろい!
しばらく遊んでしまいそうです。
こんばんは!
「むかう」と「むかふ」のお話と「いてふ」と「いちやう」のお話…ありがとうございます。「むかう」はわりと使いそうなので気をつけたいと思います。
広辞苑は、本物の広辞苑ですか? それとも電子辞書ですか?
変換サイトのこと…正字表記とは古い字体の漢字のことかな・・それはできるみたいですね。ただ、すべてを鵜呑みにできるほど完全なものではないようです。