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 韓国ドラマ中心のブログです。ネタバレ内容を含むコメントはあらすじの「きりころじっく3」の方にお願いします。


by kirikoro
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van Gogh inContext~ゴッホ展


van Gogh inContext~ゴッホ展_d0060962_18412972.jpg
昨日は続いてゴッホ展に行ってきた。

実はわたしはゴッホの絵が苦手で、見ると吐き気と頭痛がしてくるのである。それが、何故、わざわざ見に行ったかというと、最近、感覚がかなり鈍ってきている感じがするので、もしかして、以前のような不快感はないかもしれない、と思ったからだった。
結果から言うと、やはり、ぶっ倒れそうになったのだが、何故そうなるのかが分かった気がするし、何よりも、その理由そのものがゴッホのすごいとこなんだ、ということも思った。
しかも、今回の展覧会はこの記事のタイトルにも上げたように in Context 文脈の中でゴッホ像を捕らえ直すものだったので、ゴッホがどこでそのわたしが不快感と感じる技法を身につけたのか、というところにも考えが及び、とてもインタレスティングなものだった。
気持ち悪さの原因については、今回、3Dアートの絵や写真を見るときの気分の悪さと似通っていることに気づき(30年前にはそんなものなかったよ)どうも、錯視と関係がありそうだと推測している。ゴッホの独特のタッチのラインが右目と左目の視界のずれに干渉を起こしているように思える。また、構図の不安定さというのも思った。
また、そのタッチをいつ手に入れたのかについては今回の展示から、どうも、出発点は点描画法にあるように思える。点描画法の中から彼の思うものを描く方法を模索しているときに手に入れたんじゃないかなあ、なんて思った。

そういう、わたしの特殊な事情をおいておいても、今回の展示は非常に知的好奇心をかき点てられる、面白いものだ。

絵の鑑賞には二つの方法があって、絵そのものと向き合うというやり方の他に、絵の書かれた背景(歴史的な流れ・同時代とのかかわり─そのいずれにも、有形のもの無形のものがある)の中で見るという方法がある。
しかし、まったく未知の画家の絵ならばともかく、名前を知られている人の作品となると、意識するしないにかかわらず、いろんな情報が入ってしまっており、もう、そのものと向き合うことは困難になっているのである。
しかも、その情報そのものが一般大衆の幻想の求める方向に歪められ、事実とはかけ離れたものとなっていることがままある。その典型的な例がこのゴッホだと言えるだろう。
この展覧会はその誤解を解くことを意図している。
絵画以外の出展物を含め、彼が、どういう流れの中に位置しているか、また、同時代の何を受け入れ何を受け入れなかったか、ということが展示の中から分かるよう仕組まれている。
ゴッホと言えば「不遇の天才」「孤高」「狂気」というイメージが付きまとっているがそれが実のところはどうなのかを探ることができる。
まあ、ありていにいうと多くの人は天才に過剰な幻想を持っちゃっているから、その心をそのまま噴出させればすごい作品になる、なんて思ったりするわけだけれど、そんな、どこからも切り離れた絵なんてもし存在したとしても、理解不能だろう、と思う。新しいことには新しいことのでてくるだけの流れが必ずあるのである。

また、カタログがいい。ふつう展覧会のカタログは展示物の図版をただ載せているだけ、という形態をとるものが多く、それだったら画集を買った方がいいぞ、と思われるものが多いのだが、この展覧会のカタログはコンセプトがはっきりしている分、それがカタログにも生かされており、展覧会という性質上持つ、文字情報が少ないというマイナス点を補完している。また、読みものとしても、立派に独立して楽しめるものとなっている。(ただし、表紙はひどい。縦長の絵の上下を切り取ってしまって、台無しじゃないか)

まだ全部読んでいないけれど、その中から、芸術家とお金や成功の話をめぐって。
私たちの持っているゴッホ神話のひとつとして、彼は自分の絵を売ることなんぞ全く考えてなかったように信じているが、事実は違うらしい。
もちろん、芸術家は物質的な成功を求めてはならないという(古くからの)考え方に同調しつつも、初期には挿絵画家として生計を立てることを考え、のちには肖像画家になるために腕を磨こうとしたりしているのである。また、自分たちの仲間の作品が売れるよう、協同組合を作ろうと考えたりもしている。
また、過大な賞賛の記事を書かれたときも、感謝と同時に書き手の意図(欲望)を見抜く冷静さを持ち、またおそれも抱く、精神の持ち主だった。これも、従来のイメージとは大きくかけ離れているなあ。


こういう、ただ絵を並べているだけじゃない、コンセプトのはっきりした展覧会はおもしろい。
動物園が動物園であり続けながらも大きく役割を変えて来ているように、美術館も変化して行く時期に来ているのだろうな、とも思った。

愛知県美術館にて9月25日まで。
Commented by 深海 at 2005-09-10 23:10 x
私も、ゴッホの絵を見ていると、自分が不安定になってくる気がします。
すごい絵だとは思います。パワーがすごい。
でも、すごく疲れが残るんです。
Commented by kirikoro at 2005-09-11 08:21
深海さん

やっぱり、疲れますよね。
今回の展覧会では、その、疲れの源にある不安定さがどうも、画家の計算らしい、ということが分かったのが一番の収穫でした。
Commented by 深海 at 2005-09-11 11:49 x
不安定さの予測ですか、伝播ということかな・・・。表現する側の意向としては解らないでもないですね。(でも、お友達になりたくないかも・・)
Commented by kirikoro at 2005-09-11 23:13
まあ、お付き合いするには相当根性いりそうですね。(汗)
by kirikoro | 2005-09-10 18:43 | イベント | Comments(4)