多田智満子 著
福澤一郎 装画
白水社
詩人の多田智満子さんによる、神話や聖書の中の花ののエッセイ。
すらすらと読み進めるが、なかなかどうして、奥が深い。
単なる話の寄せ集めではなく、作者の自由な思索ののち、彼女自身のエッセンスとして凝固したもの、といった印象。自由に連想を楽しんでいる感じを受ける。
最初の章は「花の霊魂―序にかえて」というタイトルのもと、十九世紀ドイツの哲学者でもあり心理学者でもあったフェヒナーという人の幻視体験──花の精=植物の霊魂を目撃──からはじまる。
(このフェヒナーのTagesansicht(白昼見)という概念は稲垣足穂の形而上学三部作『地球』『白昼見』『弥勒』やブラックウッドの『ケンタウロス』に影響を与えた、とか。)
次いで引用される、十九世紀初頭のロマン派の自然哲学者で自然科学者、オーケンの論の一節が、いい。
「詩的に語るだけではなく、現実に即して語るなら、動物は植物から最後に発芽した花、あるいは本来の果実であり、すなわち、草花の上でゆらゆら揺れる精霊である。」
そのほか、章のタイトルだけを書き抜いて置く。
ヒヤシスの墓・没薬の涙・アドーニスの園・柘榴をもつ女神・水鏡に魅せられて・月桂樹への変身・葦の笛・葡萄の奇蹟・太陽を慕う花・血染めの桑の実・神の薔薇・巴旦杏縁起・あめんどうの杖・やどり木の神秘・世界樹ユグドラシル・林檎のある楽園・養いの母なるいちじく・暗い植物たち・メーディアの魔法・不死の薬草を求めて・蓮食いびと・太陽の昇る樹・糸を吐く娘・空桑に嬰児あり・月の桂・鬼には桃を・人参果・天地之中・光を放つ蓮華
どこのネット書店でも品切れ状態なので絶版になっているのかもしれないが、お勧めの一冊、でした。
話は変るが、短歌にそれまでに得た知識をとり入れるとき、わたしが心がけているのは受け売りではない段階まで自分のものにできた時までは熟成させること。
なかなか難しいですが。