月に2回のペースなので、1年(一回お休みがあったので、
実際にはプラス2週間だけれど)お世話になったわけである。
この歌会は参加者の皆様の作品にいいものがたくさんあって、それだけでも楽しいのだが、
投歌期間1週間、批評期間1週間というスピードも気に入っている。
ダレない間に、なるほどと思う批評が展開されるのがいい。
24回の題は「電車・列車」だった。
わたしの提出歌は
のぶだうの蔓のあひより幼子と昼をねむれる電車見てをり
というもの。
会場で
>区切り方によって、作中主体が幼子といっしょに「ねむれる電車を見ている」
という受け取り方と、作中主体ひとりが「幼子といっしょに昼をねむれる電車」
を見ているという受け取り方とできそうで、そこがすこし曖昧になっている気が
します。
という評をやねうらねこさんから頂いたが、それは、作者も悩んだところでした。
のぶだうの蔓のあひより幼子と見てをり昼を眠れる電車
とする方が意味は明確になるのだけれど、子供も眠ってしまいそうな
昼間のぽわぽわとした雰囲気は消えてしまうんですよね。
そんなわけで、提出歌の形をとったのですが、これでいいのかわるいのか、
判断がつかないでいます。
さて、会場では、25回の詠草の投歌期間が始まっています。
お題は「鏡」。
表記は自由ですが、詠み込むこと、となっています。
どなたでも、参加できますよ♪
ぜひ、ご一緒しましょう。
いいうたができますように・・・。
少し雨が降りましたが、雨が止むととたんに湿気を含んでやたら蒸し暑くなります。
いつになったら爽やかな秋風が吹くのだろうか…という感じです。
歌のこと…
> のぶだうの蔓のあひより幼子と見てをり昼を眠れる電車
>
> ~昼間のぽわぽわとした雰囲気は消えてしまう~。
>
なるほど…。
いろいろ考えてみたけれど、難しいですね。スペースだと空白が妙に目立ってしまいそうだし。何か音のない一文字を入れると、はっきりするかもしれませんね。
のぶだうの蔓のあひより幼子と…昼をねむれる電車見てをり
わたしの場合は結句のまずさをみなさんから指摘されましたが、そういうところの感覚がまだはっきりとわからないでいます。まだまだだなぁ…。でも、第25回…がんばります。いい歌ができますように!
からっと温度が高い方が、過ごしやすいですね。
歌、記号を入れると、また、それはそれで目立ってしまいますよね。
短歌的感覚というのは、なかなかすぐに身につくものではないようですね。
その時にすぐには分からなくても、ある時に、ああこういうことだったのか、というような気づきの繰り返しのような気がします。
なかなか奥が深い世界のようですね♪
記号も確かに目立ちますね。なるほど…。結局、やっぱり…もと歌なんでしょうね。短歌的感覚…これがステップアップできることであるのなら良いのだけれど、どうも生まれつきのセンスというか、感性というか…そういうこともありそうで…もしそういうステップアップできない性質のものであるとしたら、先行きは暗いです。(涙)
…とか言っていてもしょうがないから、明るい未来にかけてみるしかないけれど…。
わたしは感覚については、かなりの部分生得的なものではなく、後天的に鍛えられる部分が多いと考えています。
やねうらねこさんの歌の結句についても、同じようなことは、自分の歌についても他人の歌についてもよく指摘される事柄です。
わたしも最初、よくわからなかったのですが、何度もそのような場に遭遇してきて、自分でもそのようなことを指摘するようになったわけです。
やっぱり、ここでも重要なのは、継続ではないかな、と思います。
うーん、継続…ですかねぇ。
PCでのexcelの処理とか電子工作の腕とか…確かに繰り返しのなかで身についたと思えます。
でも、プログラミングや工作で何か新しいものを創作するときとか、何か天啓のようなものがありますね。どうしてそういうふうにアイデアが湧いたのかよくわからないけれど、ふっと浮かんできて、実際にやってみるとうまくいく。
でもまぁ、どちらにしても今は楽しめているからいいんですけど…。(笑)
今朝は涼しくてうれしい。そろそろお彼岸だから曼珠沙華も咲くはずですね。
短歌でも同じですね。
知識や経験が増えると、違うひらめきが生まれるように思います♪
プログラミングや工作でも、<こうすればこうなる>という予測が無意識に働くからこそ、新たな発想が生まれるんじゃないですか?