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 韓国ドラマ中心のブログです。ネタバレ内容を含むコメントはあらすじの「きりころじっく3」の方にお願いします。


by kirikoro
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<   2005年 08月 ( 33 )   > この月の画像一覧


いちご摘みは明日!


あす、9月1日はいちご摘みの日です。
どうぞ、皆様ご参加ください。
いつもの人も、久しぶりねの人も、はじめましての人も、み~んなきてね。

時間はいつものとおり、午後10時から12時まで。

こちらからどうぞ。

ブラウザをもうひとつ立ち上げていちごばんも準備してくださいね。

*もしも、このチャットルームが使えない時には→こちらへ。


どうぞ、よろしくお願いいたします。
by kirikoro | 2005-08-31 12:50 | イベント | Comments(0)

買い物に出かけたら、葛の花が香ってきた。ああ、新学期だな。

さて、今日は、おばかで、あまり上品とは言えない話です。
あほらしいことと、中年のおばはんの生態に興味のない方はスルーしてくださいませ。








よく言っていることだが、わたしの胸は、とっても貧弱である。
それで、何が困るかといったら、ブラジャーなのね。
お出かけのときはがしっとワイヤー入りのもので寄せて上げてキープしていますけれど、かなりキツイ。
で、普段のときはシャラポワのような胸をしていたら、乳首をさらしてたっていいのだろうけれど、貧乳に突き出た乳首というのはどうにもひどい。
そんなわけで、らくなスポーツブラなどをしているのだけれど、これがまた、小さめだと苦しいがジャストサイズと思われるサイズだと、ずり上がってくるのである。(とほほ)
けっこう、買って失敗ってことが多いのね。
そんな中の一枚ユニクロのリラックスラインブラジャー、これが、ずり上がるタイプなのだ。(Sだぜ!)
それと、去年買ったばったもののヌーブラ。粘着力に難ありで、着用中に剥がれて来るというどうにもならない代物、がある。
昨日の夜中、しげしげと使えないものばかりの引出しを眺めていたら、突然思いついたのね。
落っこちるものとずり上がるもの・・・合体させればいいかも?!

思い立ったら即実行。
ブラのパット入れのところに入れてみましたよ。

・・・いけるじゃん!
上手い具合にヌーブラの重みがずり上がり防止になっているぜ。
楽でいてずり上がって来ない。理想の家用ブラとなりましたとさ。
めでたしめでたし。
by kirikoro | 2005-08-31 12:38 | Comments(2)

Amnesiac
Radiohead / Capitol

日本ではレディオヘッドという表記で流通しているRADIOHEADだが、日本盤の発売前に、渋谷陽一氏がラジオヘッドと読んでいたところ、試聴者から「ラジオヘッドはヘボイので、レディオヘッドはどうでしょうか」という投書があって、現在の呼称になったとか。→こちら

話の真偽はともかくとして、たしかにラジオヘッドは、やだ。
いっそのこと、ラヂオヘツドなら、それはそれでよかったような。
(丸縁眼鏡のおっさんがやってそうな雰囲気か)

↑のCDは2000年発売の、レディオヘッドの5枚目のアルバム。
わたしはレディオヘッドの中では、これがずば抜けて好き。(1stは未試聴だが)
音源と自分との間に空気があることを忘れてしまうぐらい、肌に直に伝わってきて、音の中にまで入り込める、数少ないCDの1枚。
「わかりづらい」と評されることが多いようだけど、なんで、と思ってしまう。
by kirikoro | 2005-08-31 00:43 | 読んだ本・聴いたCDなど | Comments(0)

「鈴木英子集」 邑書林


d0060962_8113798.jpg
セレクション歌人シリーズの一冊。第1、第2歌集の抄出・散文数編に加え、第3歌集「油月」がまるごと、初出として収められている。
第1歌集の瑞々しい青春の歌から、第2歌集では、社会に積極的に目を向けている姿勢へ重心が移って気ているように思えるが、第3歌集では、それがより鮮明になっている。
冒頭から2つ目の連作「この子」は知恵遅れの子の、電車の中での自慰行為がテーマとなっている。歌に詠みにくいことがらを正面から見据えた歌である。「人間であるゆえしろき目に見らる肉体のみが熟れてしまえり」と人間社会に生きているがゆえに外れてしまう、本来的には自然な行動を見ているのである。
他にも、エスキモーの一連や、環境に関するものを扱った作品などもある。

真夜中を鷺鳴く声のみなもとの六価クロムを抱(いだ)きゆく川

しかし、わたし自身はこういったものより、どちらかといえば個人的な出産を詠った歌やその他の歌の方が好きだ。それは、前述のタイプの歌自体がどうも、高みから見ているような印象を受けてしまうからなのだろう。事実の描写がルポタージュのように続くことから来る印象かもしれない。
作者自身がそのテーマを深く自らのものとした上で詠っている、ということは、テーマの選択から想像できるし、また、ご自分のお子さんが「自閉傾向」と診断されたのちの通院時の歌の中に、「蔑(なみ)されているわたくしと桃の子と さくらのあかき花殻を浴ぶ」といった歌があることからも自らの痛みを持って作歌されているのだと思う。しかし、それがどうも歌としては結実しきっていない印象を受ける。
それに対し、社会的なテーマでも、外国に売られた少女を取り上げた一連では、女であること、という作者が長くこだわっているところと深くかかわっているためだろうか、少女らの哀しみが深く感じられるように思える。

買われしはそれからの時間、色強き花を愛づれば海風さわぐ

そして自らの出産や育っていく子供がテーマとなると、もっと訳の分からないものを引き連れて来て、歌だからこそできることを強く意識させられる。

わが胎を戦場ゆける音のせり軍靴ざくざく歩める音せり
進化せし脳は戦うにもすぐれ 思えば胎を蹴り上ぐおのこ
ざばざばと打ち上げられし夕暮れの孵化せし鳥のごときに会いぬ
進化せし脳をつつみてみどりごの頭(ず)にまだやわきひとところあり
二番線は下りなりにき下りつく先を不安なおまえと覗く
くわの実が赤子のあたまのように落つ ほたほたほたと土にひたりぬ

前の4首は出産前後を扱った「月の精気」より。
戦争に向かっている世の中の不気味さを扱うサブテーマが、自分や赤ん坊の肉体の触感を通して、より鮮明になっているように感じられ、わたしがいちばん好きな一連である。

そして集の最後で再会したのが題詠マラソンで拝見した歌。
鈴木さんの歌とはじめて出合ったのが、ここだった。
その中でもとくに好きだった、そしていまでも大好きな歌を2首、最後にあげて結びとしたい。

し・お・さ・い、と、ささやかれたら潮騒を生むからだだと気づいてしまう
くれないに二重括弧を与えれば風を言葉とせん曼珠沙華

いただいてから、だいぶん立つのに、なかなか感想をまとめられませんでした。
というのも、私自身の中に生まれた違和感が何なのか、ということがなかなかはっきりとはしなかったからです。
しかし、なんと言っても、社会への眼差しは真摯だし、はっとする歌にも多く出会えました。考えさせられることの多くある、おすすめの一冊。

               (引用短歌はすべて「鈴木英子集」による)
by kirikoro | 2005-08-29 08:20 | 読んだ本・聴いたCDなど | Comments(3)

もうすぐ、夏休みも終る


今朝は隣人のこどもを叱る声で目覚めた。
そろそろ、と思っていたが、ついにやってきた、夏休み最後の日々である。
宿題をやらされているらしいのだが、ずっと怒られっぱなし。
ぜったい勉強が嫌いになるよ、とは思うものの・・・。

人のことは言えないんだよな。
わたしの場合、勉強は中学校まで通って、小学生の間に習うぐらいのことを理解できれば、後はオプションと思っていたからねぇ。宿題は子と先生との契約だし。
子の小学校時代は9月1日、学校から帰ってからすべての宿題に取り組んでいたっけ。
中学になったら、やっている様子はなかったような気も・・・。

今から思うと、こういう親って、先生困るだろうねえ。
中学の期末試験の時など、プレステのゲームの発売日と重なって、散々だった時、懇談で、そりゃあゲームの方が大事でしょうと口走ってしまった母親です。

結果的には勉強嫌いにはなりませんでしたが、資金計画に大きな狂いが出てしまいました。老後がふあん。
by kirikoro | 2005-08-26 00:45 | Comments(2)

追悼



限界はないと思つた自由の痛さ知らぬままモーグ博士のシンセサイザーd0060962_2284839.jpg
by kirikoro | 2005-08-25 02:14 | 作品 | Comments(1)

拘束のドローイング9 サウンドトラック
ビョーク / ユニバーサルインターナショナル

先日金沢で見た映画のサウンドトラック。当然ながら、音楽だけでも充分堪能できる。
前作「メダラ」では、ほぼ人声のみによる音楽を展開し、ひとつの声の持つ多様さを聴かせてくれたが、今回の作品は楽器の音色の繊細さにひきつけられた。
とくにすごいと思ったのが笙の音。こんなに多様で繊細な音の出る楽器だとは知らなかった。結婚式で流れているものや、東儀秀樹のイージーリスニングを思い浮かべていたら、とんでもない! このアルバムで笙を奏しているのは宮田まゆみという方。覚えておこう。
全体的にエモーショナルで繊細な音楽が主で、その部分は、メシアンや武満徹の初期の音楽を髣髴とさせる。その中に、映画の中では捕鯨船のバックに流れる、金管楽器による重厚な曲やまったく能の謡に聞こえる音楽が挟まれる。(この部分、日本語で謡われるのだが、中途半端な現代語が気持ちが悪いとことあり)
また、ビョークが歌っている曲は少ないうえに、いつもの声量いっぱい使っての迫力のあるボーカルではなく、エフェクトをかけるなどして(たぶん)、前面に出ることを控えているように思えた。
なかなかいいアルバムだと思う。


★試聴はビョークのオフィシャル・サイトこちらでできます。
by kirikoro | 2005-08-25 01:21 | 読んだ本・聴いたCDなど | Comments(0)

拘束のドローイング9


d0060962_2273094.jpg金沢21世紀美術館のマシュー・バーニー展および、映像作品の「拘束のドローイング9」を見てきた。
なかなか考えさせられる作品で、行ってよかったと、思った。
まず何で「拘束の」ドローイングなのか、というと、彼は絵を描く時にいろんな身体的負荷をつけて、絵を描くという試みを続けている。
重い荷車状の機械に筆記具を取り付けて描いてみたり、建物の壁面にの天井近くにロッククライミングをして描いたり、ということをしているらしいことが展示からわかる。
アクションペインティングやハプニングの系譜なのだと思うが、たとえば、白髪一雄のロープにぶら下がって足で絵を描く手法はなんて幸せだったんだろう、とふと思う。
先日のジャン・ワンのチェロと非常に似たものを感じた。
作品に身体性を取り入れる必要性を感じつつも、ほとんどが徒労に終る形でしか表現できないのではないか。自らの痛みで世界と関係性をとり結ぶ作品のように思える。
パンフレットから彼の言葉を引用すると
──「拘束のドローイング」は、抵抗力の発達に不可欠なもの、創造性の媒体として提示するものなのです。(マシュー・バニー)

さて、今回の展示は拘束のドローイング1から11までの作品が展示されているが、その中の中心を形作っているのが映像作品とそれに付随する作品からなる9である。
映画の方は人数制限があり、見られなかった人もたくさんいただろうと思うが、この作品はセットで見るべきものだと思う。たの、身体的負荷をつけて描かれた作品がその製作過程と切り離しては語れないんのと同じように。
映像をみることにより、展示物に加わる意味があり、展示物を見ることで映像に奥行きが出る。

映画「拘束のドローイング9」のあらすじ はチラシによると、こんな感じ。

> この物語は二つの大きなストーリーによって構成されている。一つは鯨を象徴する油脂の巨塊が、捕鯨船の甲板の上で作られていき、これが解体されてゆく儀式の物語であり、もう一つは、船の茶会で出会った男女が恋に落ちた末、鯨に変身するという物語である。
> バーニーは映像の舞台として捕鯨船を選んだ。これは鯨を捕らえ解体し、加工する工場船がダイナミックな創造の場所としてふさわしいと考えたことと、楕円形の鋳型に入れたワセリン(鉱油)の魂と、鯨油がとれる鯨の巨体との連想などからである。
また、男女が出会う象徴的な場所として、「一期一会」のための形式、作法が美しく完成された茶道、茶会が選ばれた。
> 物語は、端正な手つきで贈り物を包む女性の手元のクローズアップからはじまる。第二次大戦後、食糧確保のため、捕鯨の解禁を許可したマッカーサー宛の、ある女性からのお礼の手紙が歌で流れている。
> かつて長崎にあった出島の現代版。これを舞台に多くの労働者が、白いフレンジングデッキ(鯨を引き揚げ解体する場所)をつくっている。これは作品の中では、陸と海をつなげる象徴的な場所として存在している。
> 賑やかなパレードとともに大量の鉱油が港に運ばれ、捕鯨船の甲板の鋳型の中に注入される。海上に出た船の上で、波に揺られながら次第に冷えて、凝固してゆく。
> 船の近くでは、海女たちが海に浮かぶ竜涎香を見つけた。(鯨の体から消化されずに排泄された結石のようなもので、香りの元となる不思議な物体。)それは船に引き上げられ、その香りで船を満たし、さらには油脂の巨塊の真ん中に差し込まれる。この神秘的な物体がふたたび取り去られると、いよいよその塊の周りをとりかこんでいた鋳型がはずされ、解放された鉱油の巨塊はゆっくりと甲板の上に広がってゆく。
> この船上の出来事とシンクロしながら、船内ではもうひとつの物語が進行する。
> 茶会の亭主が差し出す茶を作法通りにいただきながら、毛皮の着物の婚礼衣装を着たカップルは恋に落ちた。茶室そのものが茶碗と化すかのように、油が室内を満たしてゆく。
> 男女の思いは高まり、液体に包みこまれ、茶室に流れ込んできた鯨刀で互の下肢を切り始める。離れる下肢、なめらかな尾が伸び出し、その姿がゆっくりと鯨に変わる。2人の愛の高まりと、甲板に広がってゆくワセリンの官能的な姿が重なり合い、物語はクライマックスをむかえる。
> 南極海の氷山の間を航行する捕鯨船。2頭の鯨が船から去ってゆく。


d0060962_2275542.jpg映像作品をセリフらしいセリフがなく、抽象的な物語が展開される。
冒頭の贈り物らしき器ものが包装されてゆく場面、重ねられる紙は拘束に通じるもののように思われるが、仕上げに熨斗が付けられ、中央に熨斗アワビが通される。マシュー・バーニーの作品にはフィールド・エンブレムという作品をシンボリックに表わすものがでてくるのだが、作品ごとに差異はあるものの、基本形は楕円の中央に渡された一本のラインであり、楕円が精神・身体、ラインが拘束を表わすのだそうである。(今回の作品では楕円の部分に鯨の絵とhostの文字。ライン部にはguestの文字がある。→画像参照)それと符合する場面である。
そして、船の甲板の上で流しこまれる鉱油はその、フィールド・エンブレムの形に流しこまれ、揺らされながら固まってゆく。やがて、始めは流氷のように、そしてゆっくり全体が固まる。そして、ライン部が取り除かれる。そこに一時置かれるのが竜涎香のオブジェ。そしてそれも取り除かれ、フィールド部のワセリンは再び熱を加えられ、流動性を持つ。(と私は見たのだけれど、映像のみなので、思い違いかもしれない)そこで枠を外されたワセリンは形を残しつつも大きく崩れ、広がってゆく。
それと呼応するのが互いの下肢を刻んでいくシーン。その下肢は固められたワセリンのようであり、その回りのワセリンの液の中に溶けて行くように見える。この流れ込むワセリンは海水のようでもある。生命の誕生の場所としての海も思い起こすのだ。即ち、死と再生。
表現者の場合、同じ地平にはとどまることはできず、絶えず再生を繰り返さなければならない。そのためのヒントがここにあるのだろう。しかし、ここで暗示されているのは、対立項との融合ののちの再生である。
とするならば、エンブレムの形からはみでるワセリンの形は再生を表しているのだろうが、それはどういうことか。境界を越える自己、ということなのかもしれない。

ところで、この作品がいちばん伝わり難いのは、たぶん、日本人だと思う。
これを見て思ったのが、日本的な事物がたくさんでてくるのだが、そのひとつひとつにこのように変形すべきではない、という意識化の声がささやくのである。日本的なあれやこれやの理解度は決して西洋人の彼より深いわけではないと思われるのに、何故そう思うのか? たぶん、これはこうあるべき、だという、無意識な拘束を自分自身の感覚にかけているんだろう、というようなことも思った。
by kirikoro | 2005-08-24 02:30 | イベント | Comments(0)

くたくた


今日は金沢に始発出発、終電帰宅で行って来ました。
とは言っても、田舎だから、始発が遅くて終電が早いんだけれど。

足は痛いし眠たいし、明日の朝は資源ごみ当番だし、報告は明日に!

おやすみなさい。
by kirikoro | 2005-08-23 00:42 | Comments(0)

ラブドールは素敵だ


 前述の本の中に『LOVER'S DNA─キャンディーガール1st写真集』というのが紹介されていた。ラブドール、すなわち男性特殊用途の人形の写真集なんですね。
一昔前のダッチ・ワイフとよばれていたものとはまるで違っているみたい。
とは言っても、ダッチワイフは話に聞いたことがあるだけで、見たことはないけど。
こんな精巧な作りなのもあります。(たぶん写真集の人形はこれなんだと思う)
特殊用途部品は別で63万円もするけれど。
だけど、こんな人形だったら、いっしょに暮したくなっても、不思議じゃないな。

またまた、ラブドールでググると素敵な、男の子とラブドールの一年間の暮らしを綴ったブログを発見!

 正気ですかーッ 正気じゃないからなんでもできる!(しょぼーん)

これが、なかなかいいんだ。
ラブドールを予約してから、現実の彼女ができるまでの一年間の人形遊びの記録といってもいいかも。
いろんな意味で、いやらしくない。たぶん、書き手に自己に対する信頼感があるんだろうな、と思える。
正直、男の人形遊びって、羨ましくなったよ。
これを読んで思ったんだけど、女の人の御人形遊びは現実の自分から離れるための遊びだったように思うな。
現実のわたしを消すための遊びだったのかもしれない。
男に生まれたかったと思ったことはほとんどないが、今回は羨ましいぞ!
(恋愛対象が女だったら女のままでもいいのかもしれないけれど、わたし、男が好きだし)
不思議なもので、だからといって男の人形で同じようには楽しめないのよね。
男の人形なんて、うざいと思っちゃう。

さて、このブログの話に戻るが、
毎週このドールの衣裳をとっかえひっかえするのにかけたお金、約60万。
特殊用途の人形といえどもセックスレスに近い状態となり、添い寝がいちばんなんて、現代日本男児らしい道を辿るのもなんだか、おもしろいぞ。

このブログは彼女ができたのを期に潔く、終了されています。
彼女がドールに嫉妬、なんて話も最後の方にでてたので、現在のドールがどうなっているのか知りたいところなんだけどね。
by kirikoro | 2005-08-21 22:37 | Comments(4)