
AFX / Rephlex
エイフェックス・ツインの別名義=リチャード・D.ジェイムスの5年ぶりのアルバムなんだそうです。
(5年前のアルバムというのが「ドラックス」のこと)
去年の初めから、アナログ12インチシングルのシリーズで出した41曲のうちの10曲セレクトだって。
わたしは「Drukqs」の抒情性が好きなので、感動を覚えるほどではないけれど、
悪くはないな。
非常に疾走感のある音で、細胞の中を音が通過してゆくような感じが心地いい。
音を聴き込むというより、何かをしながら聞くのにいい気がする。
そういう意味で、役に立つ音楽って感じかも。
たとえば、これを聞きながら食事の仕度なんてしたら、
自分のことを有能な料理人かと勘違いできるのではないかと思います。
ん? 褒めてないな?
いや、そういうつもりじゃないんだけれど・・・。
繰り返しますけど、悪くないのよ。これ。
しっかりした彼の音の世界もってるしね。
ただ、
なにせ、「ドラックス」がすごかっただけに、ちょっと辛口になってしまったみたい。
~~~~~~~~
「作家占い」というのをやってみました。
本日のわたしは与謝野晶子だそうです。
>とても情熱的な日です。自分の目指すものに向かって、迷わず突き進みましょう。そんなあなたの姿をねたむ人もいるかもしれませんが、よき理解者は周りにいます。自分の信じた道を進めば大成するでしょう。
う~ん。今日は全くもって、ぐにゃぐにゃの日だぞ。
全く思いあたらん。
インターネットラジオをかけっ放しにしていることが多い。
韓国発のネットラジオで、だいたいが韓国ポップスをやっているのですが、
(たまに日本の歌や英語の歌もやっているようです)
その合間合間に喋っている女の子(CJ=サイバージョッキーというらしい)の
声がすっごくかわいいの。
24時間ラジオで、何人もの子がやっているんだけれど、それがみな、いい♪
とってもキュート。
真似したいもんだわ、などと・・・。(汗)
意味がほとんど分らないのも、また、すてきです。
(と言っても、多少は単語が耳に入るようになって、
全くのBGMにはならなくなってしまいましたが。)
こういうところで、ますます韓国・朝鮮語にどっぷり嵌まって行くのでした。
ライヴラジオは左上の方、罫線にボタンのようなのが並んでいるあたりです。
上から三つ目の9の文字が読めるのがメディアプレーヤーでこれを利用すると、
今やっている音楽の歌詞も出る(ことがある)ので、一番便利かな。
そのすぐ下はリアルプレイヤーです。
昨日だったか、サザンのTUNAMIがかかったのですが、歌詞が
日本語とハングルで表示されてました。
ハングルで口ずさんでいると、日本語の発音が変になっちゃって、
ちょっと楽しかったよ。
そうそう、メディアプレイヤーで新しい曲の歌詞に変更したい時は、
右端のバーのところをスクロールさせ、
いちばん下の黄緑色の部分の文字をクリックします。
それで出ない場合は、諦める。(たぶん)
違う歌詞が出た場合は、その歌詞の下に他の曲がいくつか
併記されていますので、それをクリックすると、正しい歌詞が表示される
場合もありますが、わたしの経験では、どれも当てはまらない場合が多いです。

イタドリの日という記念日があるわけではない。(たぶん)
本日の(わたしにとっては)ごちそうの話です。
いえね。今日は数年ぶりに虎杖を食べたんですよ。
去年、一昨年は、雨が少なかったからかなあ、
何だか不味そうで採らなかった。
でも、今年は芽を出したな、と思うとずんずん、勢いよく伸びていったのね。
茎がみずみずしくって、これを逃す手は無いよな、と買い物帰りに、
近くの道ばたや、庭から採ってきて、油揚げと煮付けに。
折る時に節と節とで閉じ込められた空気の爆ぜる音かなあ、
こぷっ、と気持ちのいい音を立てる。
下茹で下あと、水に晒していくぶん酸味を抜いてはいるが、
まだまだ残る酸味が心地よい。
春から夏へとかわる頃の音と味だな。
(今日は、思いっきり寒かったけど)
画像はとんび山通信様よりお借りしました。

遼川 るか / 新風舎
お友だちの遼川るかさんの第1歌集。
歌集といえば、短歌のみからなるものがほとんどですが、
この歌集は短歌のほか、長歌、片歌、旋頭歌、仏足石歌、今様歌が収められています。
(各歌体の説明については、新風舎の作者のページの作品紹介をごらんになるか、
本を買ってお確かめください)
作者はご自分について、
「21世紀の現代、文芸としてはすでに失われてしまった古歌にならった歌を、
あえて詠ませて戴いています。遼川るかは「現代歌謡的和歌」の歌詠みです。」
とあとがきで説明されています。
違った歌体の持つうねりというのはまた独特で、
いちど実感されると面白いと思います。
文語詠のものも、現代語詠のものも含まれていますが、
わたしが特にいいと思うのは現代語で詠まれた作品群。
疾走する言葉の波に体温や触覚が加わって生じる、切迫感を帯びた感情に
共鳴してゆきます。
すべての歌体のものを紹介する方がいいのかも、とも思いましたが、
偏ってはいても、わたしの好みで、何首か紹介します。
~~~~~~~~~
もうしばらく耄けたやうに、手持ち無沙汰の不安ごと眉間に夏を刻んでもいゝ
プディングの弾力具合はこの指先で確かめる やはらかくても潰れない場所
「古代魚時代」/旋頭歌から
膝の裏 少し残つてゐる汗は幼さといふ喪失を負ふ、獲得も負ふ
「自転磁石」/仏足石歌から
欲しいから先にあげるよ うへはした、東は西で、[give」は「take」で
さわさわとデキソコナヒの半端さが毛虫のやうに 背中が寒い
進むほど窄まる血管 未来など知らない頭蓋でお泣きよ、くぢら
左手が匿つてゐる重低音 トマトの肌に爪を立てよう
蛸足の配線でした ほどけない結び目みたいなワダカマリ、もう
ひと齧り、アンダーラインはマスタード ホットドッグに挟む切望
話し掛けたサボテン、妙に不機嫌で棘ごと撫でた 痛くしていゝよ
もしぼくが廻れば君も この星に緯度といふ名のサヨナラがある
「南航路」/短歌から
(これだけのことを書くのに、えらい時間がかかってしまった・・・。
遼川さん、ごめんよ)
昨日は電車に乗って、50万弱のお金をドブに捨てに行った。
要するに、子の学費、前期分である。
途中、雹にまで、降られちまったよ。
相変わらず、授業を受けている気配はないのよね。
朝は、起きないし。
高三の時以来、活動パターンが夕方から、となってしまっている。
自分の時間は自分が管理すべきだ、と10歳の誕生日以来、
口出ししないで来たのがまずかったかなあ・・・。
ちなみに、去年1年でとった単位は2単位らしい。
子がどのように生きようと、人に迷惑をかけなければ、
原則、干渉するつもりはないけれど、
お金が絡むと、ちょっとねえ。
さきほども、わたしがちまちまと、書き損じのコピー用紙の裏を使って
お勉強をしていると、これも使う?と自分の不用になった紙をくれたのはいいけど、
おもての文章を読むと、新たに、お遊びサークルを作った模様。
ふん。気楽なもんね。
誰のせいで、わたしが、こんなびんぼーたらしい生活をしてるんだよぅ。
学生の身分のために半年50万は、いくらなんでも高すぎると思うぜ。
わたしが勉強しちゃる。
今、やっている、図書館で借りてきたテキスト、章ごとにひとつの文型と
それの例文がいくつか、という構成になっている。
それが、ちょっと変で楽しいの。 ↓

権 在淑 / 三修社
値段からみてわたしが使っているのは上のもののようだけれど、
新版が出ていて、こちら↓の方が安い・・・。
(レビューを見ると、ちゃんとCDのついてるみたいだし)

権 在淑 / 三修社
この例文、ひとつの文、あるいはワンセットの会話が
独立している形式になっているのだけど、
妙に、前後の関連がありそうで、想像力が刺激されてしまう・・・。
とある章から順に省略なしで日本語訳を並べてゆくと、
~~~~~~
私たちは夫婦ではありません。
─では、兄と妹でいらっしゃいますか?
実はそういうことではありません。
─では、どういうことですか?
韓国は今回が初めてでいらっしゃいますか?
─いいえ、初めてというわけではありません。
そういうのは愛でも何でもありません。
(ここで章が変わる)
私たちは夫婦ではなくてただの友達です
では、それが嘘ではなくて本当なのですか?
故郷は北海道ですが国籍は韓国です。
故郷は東京ですが日本人ではありません。
お金はいささかありますが、とても金持ちというわけではありません。
~~~
なんか、とっても訳ありのカップルのように思えてしまって・・・。
「ただの」友達というのがすごくあやしい~と思うのは、わたしだけでしょうか?
まあ、否定形という文体が裏に何かありそうに思えるって部分が大きいんでしょうけれど。
放置されていて、そばを通るたびにどきっとしていた。
まっ白くてふわふわしていて、ぴくりとも動かない、綿。
動いたら動いたで、もっと怖い気がするが。
だけど、その綿も次第に弾力がなくなり、うす汚れ、
ただの汚れた綿となってしまった。
もう、驚けない。
先週から、参加を始めた題詠100首ブログはやっと6番めの題を詠み終えたところ。 →きりころじっく
参加を申し込んでから計算してみて、2日に1題ぐらいのペースで詠まないと、
期限内には終わらない計算になることに気づいた。
1題1首でどんどん詠むのだったら、どうってことないペースだけれど、
トビケリ歌句会でやっていたスタイルで、ひとつの題に10首程度の歌を
まとめるとなると、ちょっと辛いペースかも。
かといって、完走しなくてもいいや、と思ってしまったら、そこで
ストップしてしまうのは目に見えているので、つづけなくっちゃ。
歌会の話題から、もうひとつ。
提出された歌の中に「頗るつきの美人画」という表現があった。
ところが、わたしの他の1,2人を除いて、「頗るつき」という言葉を知らない、
とおっしゃるのだ。
わたしの場合も「頗るつきの」は美人限定の修飾語として知っているだけのことばだが。
イメージとしては、昔の白黒の日本映画の美人なんぞが思い浮かぶ。
映画を見たことはないけれど、原節子だとか、そういう人につける
形容詞って感じかな。
まあ、最近は使われなくなったけれど、私より上の世代には馴染みのある言葉だと
思っていただけに、意外だった。
(歌会の出席者のうち、わたしより若い人はひとり、あとは、みんな、
歳上の方たちなのだ)
ということは、使われていた場が限定されていた言葉だったのかなあ。
わたしはどこで、この言葉と出会ったんだろう。
歌を作るとき、ある言葉が、どの年代の人の何割ぐらいに理解されるか、
ということは、歌の(少なくても表面的な意味の)伝達を考える上で、
大事な情報だと思うので、予想と大きなギャップがある時は、
ちょっと考え込んでしまう・・・。
ところで、この「すこぶるつき」、たしか、大島弓子の『綿の国星』の中に
使われていたと思うのよね。
(売っぱらってしまったので、確かめられないけれど)
すこぶるつきの美女猫だったか、美猫だったか、まあ、そのような表現だったと思う。
そこではじめて「すこぶるつき」という表現とであった人は
どんなイメージを持ったんだろうか。

原節子

今日は結社の歌会。
その詠草の中に、万歳をしてジェットコースターに乗る子を詠んだものがあった。
作者がいうには「私は怖くてバーにしがみついてるのに、みんな万歳してる」
んだそう。
もう、長くジェットコースターには乗っていないけれど、そういえば、
テレビなんかにジェットコースターに乗っている人が映ると、
必ずと言っていいぐらい、みんな、手をあげている。
むかしはそんなじゃなかったよなぁ。
注目をひきたい男の子がたまにやるポーズだった気がする。
いつからジェットコースターに乗るときのスタイルが変わったんだろう。
こんな風に、物事のスタイルは、変わっていくのね。
そうそう、ジェットコースター乗り場の近くでは替えパンツ!など販売していたっけ。
今もまだあるの???
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今日の画像は何の関連もなく、100円ショップで買った、
ムーミンビスケットのパッケージ。
深い意味は(浅い意味も)ないんだけど、可愛かったので、衝動買い!
(スナフキンとミイは可愛くも美味しそうでもないが)
味は、こういうビスケット(動物ビスケットとか)の味。